KyotoEcho was born in 1963.

※この物語は、昭和48(1973)年に発行された合唱連盟関係印刷物に掲載された記事を転載しました。正確な出典・作者は不明ですが、物語は事実です。

※2002年5月29日、京都エコーHomepage掲載のため、一部追記・改訂を加えました。

合唱団京都エコー副団長 足立充宏

昭和三十七年十一月
 京都市内のある喫茶店、小太りで、ひげの濃い、エネルギッシュな青年が座っていた。彼はその年の春に大学を卒業して社会人になったばかりであった。現役時代には男声合唱を指揮しその名を知られた男であった。彼の頭の中には、少し前、京都会館であった演奏会の事が思い出されていた。その演奏会というのは当時世界一のアマチュア合唱団だといわれていたインスブルック合唱団の演奏会であった。彼は先ほどから自分の耳を疑いはじめていた。 

 本当に世界一の合唱団やろか? 横でいっしょに聴いている女性(エコー創立者の一人で彼の現役時代からの友だち、現在宮崎で合唱活動を行なっている)に、彼はいった。
 『いくら聴いていてもうまいと思わへん。この合唱団うまいと思うか』
 『そやねえ、ウチあんまりピンとこんわ。これで上手なんやろか。』
という返事。彼はこんなもんやったらボクらでもできるやんかという気がした。現実にかえった彼は、ゆっくりと目を開いた。

 青年「よし、決めた。デッカイ、今までになかった合唱団を創ろう」
 女性A「エッ、今までなかった合唱団というても、どんな合唱団の事やの」
 青年「それはなあ、従来の型にはまったんとちごて、大胆で心の全てを表現する合唱団の事や」
 女性B「そやかて、メンバーどないして集めんのぇ」
 青年「まかしとけ、別に何十人も最初から必要なわけやない。世界の都・京都で、世界的な合唱団を目指そうと思う奴等は、絶対にいるはずや。そやからすぐメンバーリストを作れ。男性群は俺が作る」

女性二人、紅潮した顔を互いに見合わせうなずく。

 女性A「わかった。一週間以内にリスト作るし」
 青年「おおきに。ほんなら十二月中に一回集まろう。たのむわ。」

昭和三十七年十二月
 
集まったメンバーは二十名足らず、ある楽器店の二階の小さな部屋で男女が雑談していた。青年が入ってきた。

 青年「すまんなあ、待ったか。そんなら皆、近くへ集まってんか。概略は電話でも説明したけど、一口でいうと、今までにない本当に歌える合唱団を創るんや。皆どうや」
 男性A「よーし、いっちょやろか」

それから二週間後 昭和三十八年一月八日
 男性五名女性九名のメンバーで正式に合唱団京都エコーとして発足

昭和三十九年十一月三日、第一回京都合唱コンクールで、一般、総合の部一位の栄冠を得、そして十二月、第一回演奏会を開催。
昭和四十年十二月、第二回演奏会。
昭和四十二年十一月、創立五周年記念演奏会。
昭和四十四年十二月、第四回演奏会。
昭和四十五年十一月、第二十五回関西合唱コンクール一般及び総合の部一位。第二十三回全国合唱コンクール一般の部銀賞。
昭和四十七年十二月創立十周年記念演奏会。

そして今、七十名の京都エコーは、本当の歌を求め、それが存在することを信じて、十一年目を歩み始めている。

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